桃の節句に ひな人形 九谷焼 - 2013年

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ひな人形 九谷焼 プラチナ・ライン 初節句お祝いセット

3月3日の桃の節句。ひな人形を特集しています。
2013年度の「ひな人形」特集。
桃の節句は、お雛様を飾って、女の子の健康と幸せを祈る、女の子の日。

これまで、ポピュラーでお手軽な「親王飾」、より豪華な「三段飾り」、真打の「五段飾り」「七段飾り」をご紹介してきました。

今回は、陶磁器、「九谷焼」のひな人形をご紹介します。
陶磁器独特の質感と肌触り、九谷焼の持つ鮮やかな色合い・伝統を堪能出来ます。

九谷焼は、敬老の日、金婚式、銀婚式の記念品・贈答品、父の日・母の日・誕生日プレゼントに、定年退職祝い、内祝い、還暦祝い、喜寿祝い、米寿祝い等の記念品として、人気の高い、陶磁器の名ブランド。
長い歴史を持つ九谷焼は、鮮やかな「九谷五彩」の中に、土に命を注ぎ上絵に心を込める職人のひたむきな情熱と豊かで細やかな感性が見事に調和して表現されており、日本を代表とする陶磁器として国内はもとより海外まで知られ、多くの人達に支持され親しまれております。
桃の節句、女の子お祝いに。




※下記の写真をクリックすると、美しい拡大写真がご覧になれます。
また拡大写真をクリックすると、その商品の販売サイトにジャンプします。
(売り切れの場合はご容赦下さい)
※拡大表示された画像は、右上の「X」ボタンをクリックするか、escキーで元に戻ります。

ひな人形 九谷焼 プラチナ・ライン 初節句お祝いセット

九谷焼 ひな人形 3号雛人形 盛

九谷焼 ひな人形 3号雛人形 青九谷

九谷焼 ひな人形 3.8号立雛 うす茶梅

九谷焼 ひな人形 3.8号立雛 ひわ桃盛

九谷焼 ひな人形 4号立雛 盛

九谷焼 ひな人形 5号立雛 盛

九谷焼 ひな人形 5.5号雛人形 盛

九谷焼 ひな人形 5.5号立雛 花唐草

九谷焼 ひな人形 5.5号立雛 盛

九谷焼 ひな人形 4.7号立雛 赤藤紋

九谷焼 ひな人形 3.8号立雛 吉田屋

九谷焼 ひな人形 3号雛人形 青九谷

九谷焼 ひな人形 4号立雛 色絵松竹梅 糠川孝之

九谷焼 ひな人形 4号福雛 白盛

九谷焼 ひな人形 3号座雛 白盛

九谷焼 ひな人形 5.5号立雛 盛

九谷焼 ひな人形 5号雛人形 盛

九谷焼 ひな人形 6.5号立雛 盛

九谷焼 ひな人形 5号雛人形 盛

九谷焼 ひな人形 5.6号立雛 ひわ桃盛

九谷焼 ひな人形 5号座雛 白盛

九谷焼 ひな人形 5.5号立雛 赤地金雲松竹梅

九谷焼 ひな人形 6.5号立雛 鹿の子盛

九谷焼 ひな人形 5.5号立雛 色絵松竹梅 糠川孝之

九谷焼 ひな人形 5.5号立雛 華模細工 糠川孝之

九谷焼 ひな人形 8号立雛 盛

九谷焼 ひな人形 5号雛人形 色絵松竹梅 糠川孝之

九谷焼 ひな人形 5号雛人 金彩錦盛

九谷焼 ひな人形 3号雛人形 金彩錦盛




桃の節句、ひな人形

桃の咲く頃の節句(伝統の行事を行う季節の節目となる日)と言う意味を表す、「桃の節句」。桃の節句にひな祭りをするようになったのは、江戸時代の頃と言われています。

ひな人形 親王

ひな祭り自体の起源はいくつかの説がありますが、平安時代には既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていました。その後、儀式的な要素も加わり、ひな人形は、「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になりました。
江戸時代に入ると、女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになり、今のひな祭りに発展してきています。

ひな人形 親王

また、人形自体も江戸初期から時代を追うごとに精巧さを増し、十二単の装束を纏った人形や、豪勢な金箔張りの屏風など、立派なものが作られるようになりました。江戸時代後期には宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていきました。

日本の伝統工芸の技の粋を取り入れ丁寧に職人の手で作られるひな人形。
女の子の一生の宝物・お守りとして、重宝する品です。


九谷焼とは

 九谷焼の歴史は、江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだ・としはる)が、領内の九谷(現在の石川県山中町九谷)の金山で磁鉱が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。

 九谷の窯は1730(享保15)年ごろに突然、閉じられてしまいましたが、原因はいまだに定かではありません。この間に焼かれたものが後世、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が高く評価されています。

 古九谷の廃窯から約80年後、加賀藩営で金沢に春日山(かすがやま)窯が開かれ、再興九谷の時代に入りました。春日山窯の木米(もくべい)風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本窯、金襴手の永楽(えいらく)窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。
 明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。


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3/3の桃の節句に。 桃の節句向けにひな人形を特集しています。 今回は、陶磁器、「九谷焼」のひな人形をご紹介しています。 続きを読む





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